家「『センコロール』観たんだよ」
え「え? あれ!?」
家「なんだ、前回の更新から間がないからビックリしたか?」
え「ええ……晩ご飯何食べました?」
家「カレーだよ! 変なものは食べてない!」
 
家「それはともかく、職場の上司がDVD貸してくれたので『センコロール』観たんだよ」
え「宇木敦哉さんが個人制作したアニメですね」
家「つーか上司に教えられるまで知りませんでした。スンマセン」
え「感想は?」
家「いやーすげえ! 面白い! 動きで魅せるというか、言語化不能というか」
え「えむも観ましたけど、なんかちょっと淡々としすぎかなーと思いましたよ」
家「Amazonのレビューを見ても賛否両論でやや否の方が強い感じですなあ。わかるんだよね、もやもやっとして消化し切れてない感覚」
え「謎だらけで終わってるじゃないですか。なんですかセンコって。生き物? 妖怪?」
家「まあ待て。それで商業作品としていいのかどうかはさておき、それは完全に狙ってるというか、そこを目指して作られた作品なんだよ、多分。
 この作品、言葉で説明しないものが異常に多いの。おそらくは宇木さんの頭に浮かんだイメージをそのまま映像にしてるのね」
え「そんな立派なものですかあ? 理解できない展開多いし」
家「んにゃ、それは『言葉で表現しにくい』だけで映像としては理解できてるはずだよ。
 全部俺の推測なんだけど、宇木さんはビジュアルから話を組み立てるタイプの人なのね。これがこうなったら面白いとか、ここでこうきたら心地よいとか、言葉じゃなくてイメージでストーリーを作ってるんだと思う。
 でも、アニメって集団作業なので、普通は言葉で説明できないものは作れないのね。たとえばセンコに意思を伝えるための妖怪アンテナみたいなのが出てくるけど、集団作業ではこれを『妖怪アンテナみたいなもの』って説明せざるをえない。でもこの『妖怪アンテナみたいなもの』は、実際には相手から奪えたりぷつんと切れたり不思議な働きをする。これは『妖怪アンテナみたいなもの』って言葉からは生まれてこないイメージ。『妖怪アンテナみたいなもの』って言ってしまうと、共同制作者や視聴者に簡単に伝わるけど、その代わりにそれ以上のイメージが出てこなくなってしまう。
 『センコロール』ではセンコの正体や人間との関係、センコの内部構造など、なるべく言葉にしないで視聴者に伝えるよう努力してるのがわかる。そこが俺はすげえなあって思うの」
え「うーん……でも、理解しづらいですよ。仮に面白いと思っても、友達に伝えられないじゃないですか。とにかく観ろ、としかいえないし」
家「特典映像のディスクにPVが収められてるんだけど、それを観ると完成形までの間にどんどん言葉を排除していったのがわかるよ。PVの段階ではいかにも言葉で説明できる話なの。謎の怪物がいて、女の子がいて、怪物を退治しようとする軍(自衛隊?)がいて、女の子は傷ついた怪物をかばって……っていう。
 PVではとてもわかりやすいしありがちな話だったのをあえて捨てて、宇木さんのオリジナルなイメージであるセンコの面白さ・不思議さに絞って作品を作り上げていったんだと思う。既存のイメージに足を引っ張られてしまうのを避けるために、言葉を削り取っていったんだ」
え「むう。納得いかないです」
家「知らんがなw
 逆に、新海誠さんは言葉で話を作っていく人なんだと思うよ。『ほしのこえ』なんて『何光年も離れた二人が携帯でメールをやりとりしたら、せつないだろうなー』って、いかにも言葉で説明できちゃう話だし。実際コミック版とか小説版とか、いろんなメディアに広がってる(=アニメである必要に乏しい)でしょう。
 『センコロール』はとっつきは悪いし大衆受けもしないかもしれないけど、アニメ以外ありえない。コミック版はまだしも、小説版なんて無理すぎる。そういう意味で、俺は新海さんより宇木さんを評価するよ」
え「ちなみに家主さんはどう話を作るタイプですか?」
家「俺も新海タイプです。変わった言葉を組み合わせては携帯のメモ帳に打ち込んでますw 俺には『センコロール』は一生創れません」