ハリー・ポッターと賢者の石

 初めて観た上に、原作小説も読んでいない。ということをふまえて書くとですな。
 ちょっと、グリフィンドールをひいきしすぎじゃありませんか、先生がた? あんな扱いされたら、スリザリンの生徒たちがグレて悪の道に進むのも当然だと思う。
 話の内容は、まあいい話なんだろう。元が児童文学だということを考えたら、やっぱり「努力・友情・勝利」は外せない要素だし、「実は君は、すごい力を持ってるんだ」というのは子供に夢を持たせるための黄金パターンだ。学園ものとして見た場合、上述したような「スリザリンの生徒の立場がない」という欠点は無視しがたいが、「英雄ハリー」の物語としてみるなら、やむを得ないのかもしれない。
 しかし、これは作家にとって、非常に大きなことを示唆している。つまり、あれだけ壮大なことをやっていても、テーマとして伝えられることはすごくシンプルだということだ。もしさらに「スリザリン側の物語」を追加すれば、物語は止めどもなく長くなる。もし『魔法使いの学校』というモチーフで、「努力・友情・勝利」以上のテーマを描きたいのなら、ハリー・ポッターを越える長編を覚悟しなければならない。
 ↑こう言われて書く気になる人は少ないと思う。だから、テーマもモチーフも慎重に選ばなくてはならないのだ。