なぞなぞはとりあえず置いといて

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_9358.html
 某少女マンガ家の図像パクリ問題に関して、竹熊先生のご意見。で、この問題……に限らず、最近の様々な騒動について思うのは、「外野がなんでそんなに口を出す?」ということだ。今回のパクリ問題で、騒動を煽り立てた人々は、多分マンガなんて描いたことない人だと思う。少しでも創作に手を染めた人間なら、ゼロから物を生み出すことがどれだけ大変か、身に染みている。
 パクリを許すわけではないけど、逆にそれを咎める資格が自分にあるだろうか? ……と、創作人は考えるわけである。考えざるをえない。自分が作ってきた作品を振り返って、まったく潔白だといえる作品がどれだけあるだろうか? このキャラクターの服はファッション誌から取ってきた、こっちの作品のストーリーはあの映画から思いついた……。そう考えていくと、所詮自分も五十歩百歩だということに気が付いてしまう。
 だから、創作をやっている人間というものは、少なくとも「パクられた被害者本人」が騒がない限り、このテの問題に口を出さない。さらに、ネットがなかった時代には、「あのマンガ家はあの作品をマネしてる」という情報はコアなファンの間でのみ共有されていた。コアなファンって、要するにマンガが大好きな人たちだ。こういう人たちは、やっぱり「パクリだ!」などと騒いだりしない。「このマンガ家さんも、あの作品を読んでるんだなあ」と、親近感を湧かせるだけである(笑)。あるいは、自分だけが知ってるレア情報として、「なあなあ、知ってる? この作品ってあの作品のパクリなんだぜ?」と友達に知識をひけらかすのに使う程度である。
 つまり、こういう騒動を起こしたり煽ったりする人々は、そもそもあんまりマンガに興味がない人たちじゃないか? と思うのだ。大騒ぎするわりに、騒動の結果がどうなろうと、別に知ったことではない。例のマンガが絶版になろうが、作者がマンガ家生命を断たれようが、大して興味がない。
 だが、マンガが好きな人間の場合、そういうわけにはいかないんである。この世からマンガがひとつ消滅する、描き手が一人消えてしまうというのは、この上なく堪えがたいことなのである。両者の間の違いは、結局『愛』があるかどうかなのだが、残念ながら「ない」人々の方が圧倒的に多数だ。
 ……今回の騒動に限らず、どうも最近のニュースを見ていると、だんだんと社会から愛が消滅していっているように感じられる。息苦しい時代になったものである。←なんだこの結論は(笑)